その日、私は朝から体調が優れなかった。
どこか体が怠くてなんだか熱っぽいような気もする。風邪でもひいたのだろうかと思ったが、とりあえず自分に無理やり大丈夫と言い聞かせると、おぼつかない手で制服を着て学校へ向かったのだった。
少し調子が戻ってきたのでなんとか放課後まで過ごすことにする。しかし段々と頭がふわふわとしてくると同時に意識が少しぼんやりとしてくる。今日は部活があるため参加するかどうか迷ったが、もうすぐ試合前でみんなが集中している最中、とてもじゃないけれど私だけがそんなことを言い出せる雰囲気ではなかった。
大丈夫、我慢したらなんとかなる。そう思って私は必死に自分を奮い立たせるとともに部活へ参加することにした。
「ちょっと、いいですか?」
部活の練習中に突然財前くんにコートの隅の木陰に呼び出された。
彼のそばに向かうといきなり私の顔に自分の顔を近づける。
……何だろう?私の顔に何かついてるのだろうか。それにしても彼はやたらと私との距離がいつも近い気がする。私のパーソナルスペースなんてものは全くのお構いなしである。
私がそんなことを思っていた次の瞬間、私の額からパチン、と小気味のいい音がした。財前くんが私のおでこにデコピンをお見舞いしたのだ。
「痛!」
私は思わず額を押さえて顔をしかめる。
「き、急に、な、なにを……」
「気づいてないとでも思ってるんですか?」
「え?」
私が目を見開くと、彼はため息をつきながら「みんな、普通に分かってますよ」と言って呆れた顔をした。
「何が…?」
「まだシラをきるつもりですか?」
彼はまたデコピンをしようとしたので、私は慌てて自分の額をまた手で押さえた。
「も、もしかして…体調、のこと?」
「そんな顔してたら誰だって気づきますわ」
てっきりバレていないと思っていたがどうやら全員に気づかれていたようである。振り向くとみんなの視線が私に注がれている。
「俺らに気い遣ってるんやったら余計なお世話ですわ」
「……」
「そんな調子なんやったらおってもおらんでも一緒ですから、早よ帰ったらどうです?」
相変わらずな財前くんのきつい言い回しが私の心にグサリと突き刺さる。しかし、もしかするとこれは彼なりの心配の仕方なのかもしれないな、と私は思った。
「そうだね…。ごめんね、みんなに心配かけちゃって」
「…………」
「じゃあ私、帰ることにするよ」
私が踵を返して部室へかばんを取りに向かおうとすると、後ろからぐいっと手首を掴まれたので思わず振り向く。
「ちょっとここで待っといて下さい」
そう言うと財前くんは私より先に部室へと行ってしまう。私はぼんやりしながら言われた通りにその場所で待っていると、彼が私のかばんを手に持ってこちらへと戻ってきた。
「え?あ、ありがとう」
私がかばんを受け取ろうとするが彼はそれを手に持ったままであった。
「はいはい、じゃあ、行きますよ」
彼はそう言うと私と手を繋いで「ほな、送ってきますわ」とみんなの方を向いて叫んだ。みんなは「気を付けてなー!」などと言い、手を挙げたり振ったりしながらこちらを見て微笑んでいる。私は驚いた。
「ええ!?あ、あの、私、一人で帰れるよ」
「そんだけフラついてんのによう言えますね」
財前くんは私の姿を見ながら鼻で笑った。そして「もしなんかあった後に恨まれでもしたらこっちが困るんで」などと彼は言うと私の手を引いて、そのまま私の自宅の方向へと足を進めていったのだった。
***
財前くんはその横柄な口ぶりと態度とは裏腹に、私のかばんを持ちながらよろよろとした私の歩調に合わせてゆっくりと歩いてくれる。手も繋いでくれているので私はなんとか歩む方向もまっすぐに保つことができていた。
「財前くん」
「はい?」
「ごめんね……」
部活に無理やり参加したことで結果的にみんなにも彼にも迷惑を掛けてしまうことになってしまった。私は自分の不甲斐なさや恥ずかしさを自覚すると体調の悪さも相まってか、なんだか泣きそうになってくる。
「あの、もしかして落ち込んでます?」
「…………」
「まさか泣いてたりしませんよね?」
「……な、泣いてないよ」
自分のせいなのにめそめそと泣いてなどいたらもっと情けない。それに私は彼より年上なのだからもう少ししっかりしなくては。もう既に彼にはこんなひどい姿を見せてしまっているがそれについては触れないでおこう。
「わかりやす」
財前くんはぷっと吹き出した。
「先輩、顔に出てますよ。全部」
「え?」
「そんなんで最初から気使って隠そうとしても無駄ですよ」
彼はおかしそうにしながら少し笑みを浮かべる。そんなに私は思ってること全てが顔に出ているのだろうか。
「そうだよね。最初から学校も部活も休むべきだったな…」
そう反省しつつ、「そしたら財前くんの部活の時間も減らなくて済んだのに……」と、私が続けて言いかけると、急に足の力が緩み、フラついて財前くんの肩に寄り掛かってしまう。彼は咄嗟に私のことを両腕で受け止めようとしたが、するりと抜けて私は自分の体重を支えきれずにそのまま財前くんの胸にぼすん、と顔が埋まってしまった。だめだ、力が入らない……。
「…ご、ごめん」
なんとか必死に力を振り絞って彼から体を離そうとすると、背中に回された腕がぎゅっと私のことを引き寄せた。
「!?」
あまりの予想外の出来事に一瞬息を呑む。こ、これはどういうことだろう?もしかして今私は財前くんに抱きしめられている状態なのだろうか?
「あ、あの……」
ぼやっとした意識の中、私が呟くと彼は私の肩を掴んでパッと自分の体から上体を離した。そして「後ちょっとで先輩の家ですから、もう少しの辛抱ですよ」と何事もなかったかのように前を見て言うと、また私の手を繋いで、先を歩き出す。私は「う、うん」と返事をした。
今のは……なんだったの……?
私の心臓が早鐘を打つ。いや、きっと何かの間違いだ。今のは抱きしめられたとかそういうんじゃない。私がフラフラしてたから安定させてくれたんだ。うん。彼が私を抱きしめるなんてことは絶対にあり得ない。意識がぼんやりしていたからそういうふうな感じに受け取ってしまっただけであって……。
しかし思えば思うほど体温が上昇して自分の体はなおさら熱を帯びてきてしまうのだった。
それから私の家に着くまでの間、私たちは特にお互い会話もせずにひたすら前だけを見て歩き続けた。
ようやく私の自宅の門前に到着して私がお礼を言うと「ああ、別にいいですよ。それより……」と彼は口を開く。
「ホンマ、無茶せんといてくださいね」
「?う、うん」
「危なっかしすぎて見てられませんわ。それに先輩が調子悪いと、こっちまで調子狂いますから……」
そう言うと彼は真剣な表情をして私を見た。さっきの部活の時に比べると彼は途端に素直になったので私はなんだか拍子抜けした。
「財前くん…なんか変なものでも食べた?」
「は?」
「ううん、なんでもない」
「いや、普通に聞こえてますから」
彼は「せっかく人が心配したってんのに…」と呟き、ため息をつく。そうか、やっぱりそうだったのか。
「ごめんごめん、本当にありがとう」
「今更遅いですわ」
「ご、ごめんね。あと私のせいで部活の時間が潰れちゃったのも」
「ああ、それはいいです。そっちの方が好都合ですから」
「?」
私がよくわからないでいると彼の手のひらが私の頭をポンっと撫でた。
「でもホンマ、さっきよりも元気そうでよかったですわ」
そう言って彼は私の頭をまたポンポンと撫でながら少し表情を緩ませると、優しい目で私を見つめた。私は目の前で起こっていることが信じられなくて思わず硬直してしまう。
「じゃあ、お大事にしてください」
そう言うと財前くんは私に鞄を返し、再び学校への道のりをまた戻って行ってしまったのだった。
「…………」
頭がポーッとするのは果たして熱のせいなのかそうでないのか、定かではない。私はその後部屋の布団に包まると色々なことを考えすぎてしまい、すっかり眠れなくなってしまったのだった。気がついたら優しすぎる彼のことが、ずっと頭にこびりついて離れなくなってしまったのは言うまでもない。