私の家は二階建ての一戸建てだった。
涼んでとは言ったものの家の中には誰もおらず、室内には熱気がこもっていた。私は謙也くんを二階の自室へと案内すると、すぐさまリモコンでクーラーをつけ、設定を『強』にした。「適当に座っててね」と促すが謙也くんは少し落ち着かない様子だった。
私は部屋を出て階段を降りてキッチンに行くと、冷蔵庫から冷えたジュースを取り出した。そしてそれを二つのコップに注ぐ。ジュースをこぼさないように丸いトレイに乗せると、また自分の部屋までそれを運んだ。
「おまたせ」
クーラーをつけた私の部屋はだいぶ涼しくなっていた。日差しが強いためカーテンは閉めたままにしてある。私の部屋は六畳ほどで、勉強机、一人用のベッド、ローテーブルが置いてある。中学生の女子にしては物があまりなくシンプルな部屋だった。謙也くんはテーブルの前に小さくなって座っている。私はそこにジュースを置いて、謙也くんと向い合わせに座った。
「お、おおきに」
「?謙也くん、だいじょうぶ?」
なぜか身をかがめている謙也くんが不思議になり、私は声をかけた。
「え?お、俺はだいじょうぶやで。ってか、なんかいきなり押しかけてしまったみたいで、スマンな」
「ううん、そんな気を使わなくていいよ。うちの親仕事で遅いから、いつもこの時間はいないし」
「……そ、そうなんや」
謙也くんはさっきからずっと少し緊張しているようだった。家に誘って余計に気を使わせてしまったのだろうか、私は謙也くんがリラックスできる話題を探そうとした。
「私の部屋、狭いでしょ?リビングのほうがよかったかな?」
「えっ、いや、そんなことあらへんで。俺の部屋もこのぐらいの広さやし」
「本当?そういえば謙也くん、お家でイグアナ飼ってるんだよね?」
「ん?おう、そうやで」
「今度さ、機会があれば見に行かせてもらってもいいかな?」
謙也くんに以前写真を見せてもらったことがあった。私はそれまでイグアナという生物をあまり身近に感じたことはなかったが、謙也くんのイグアナはとても可愛くて、いつか会ってみたいと思っていたのだ。
「ホンマ!?もちろんええに決まってるで!楓ちゃんやったら大歓迎やから、いつでも来てや!」
そう言うと謙也くんは嬉しそうにして笑った。いつもの謙也くんに戻ってくれたので私はほっとする。
「よかった、楽しみにしてるね」
「おう!……」
「……?」
謙也くんとの会話は急にそこで途切れた。どうしたんだろう。私が見つめていると、謙也くんは顔を上げて「楓ちゃん、俺な」と居住まいを正した。
「楓ちゃんのこと困らせる思うて、言うかどうかずっと迷うててんけど」
「うん……?」
「俺、楓ちゃんにアイツは合わんと思う」
謙也くんは真剣な顔をした。
「アイツ?」
「五組のアイツや」
五組のアイツ、私の彼氏のことだった。謙也くんが彼のことを話すのは初めてだった。
「俺、見てて思うねん。楓ちゃん、アイツと付き合うてから全然楽しそうやないし、むしろ前より元気ないっちゅーか」
「……」
「付き合う前はもっと笑顔やったけど、最近はなんかずっと辛そうに見えんねん」
謙也くんに言われて私は驚く。そうなのだろうか。自分では全く気づいていなかった。謙也くんに言い当てられると私はショックになった。
「てか、今日かて楓ちゃんが話しかけてるのに、なんやっちゅーねんアイツの態度……!」
謙也くんは苛立ちをあらわにする。やっぱりあの時謙也くんは気づいていたんだと思った。
「俺、アイツにはホンマ腹立ってんねん!」
「……」
「楓ちゃんがずっと辛そうなんは、アイツのせいなんやろ?」
「謙也くん……」
「今日もアイツになんか言いたいことあったんやろ?俺が楓ちゃんの変わりに文句言いに行ったろか!?」
謙也くんはだんだんと怒りを抑えられなくなり、テーブルに手をついて身を乗り出しそうになった。私は「あ、ありがとう。でも大丈夫だから」と慌てて制した。こんなにも怒っている謙也くんの姿を見たのは初めてだった。今まで全く表には出さなかったのは私のことを考えてずっと我慢してくれていたのかもしれない。
「私が……多分空回りして、それで嫌われちゃったのかもしれないから」
私は目の前のジュースが入ったグラスを眺めながらそう言った。彼との出来事を思い返してはまた悲しくなって、胸が痛む。
「俺やったら楓ちゃんに絶対にそんな顔させたりせえへん」
私は顔を上げる。謙也くんは私のことを真っすぐに見つめていた。
「俺な、最初楓ちゃんとアイツが付き合うたって聞いた時、友達として嬉しいと思うててん」
「うん……」
「友達に彼氏ができてめでたいし、喜ばなあかんって思うててんけど……」
謙也くんは視線をテーブルに落とす。
「けど、しばらく経ったら自分でもわからんくらい、なんや胸のあたりが痛なって、苦しくて、ずっと何するのも、考えるのも嫌になってん」
ゆっくりと話す謙也くんの目はどこか寂しそうだった。
「こんなん初めてで、なんでこんなに俺落ち込んでんねんやろって、しばらく自分でも考えてみてわからんかってんけど、最近になってやっと気づいてん」
謙也くんは顔を上げる。
「俺は楓ちゃんのことが大切で、俺には楓ちゃんが必要なんやって」
謙也くんは私のことをじっと見つめる。心臓がどきりとした。
「せやから自分の大切なもんを取られて、それを傷つけられたみたいで、嫌やって思って……」
と、言いかけた謙也くんは、はっとなり、「って、お、俺のもんでもないねんけどな……!」と顔を赤らめて言い直した。
「これは俺の一方的な気持ちやから、楓ちゃんは俺のことどう思うてるんかわからんけど……」
謙也くんはそう言うとうつむいて、照れくさそうにして頭を掻いた。
大切……、必要……?謙也くんの言葉が信じられなくて、頭がぼうっとする。本当なのだろうか。人からそんな言葉を掛けられたのは生まれて初めてだった。私は嬉しくて心の底から気持ちが込み上げていった。
「そんな、大切だなんて。そんな風に言ってもらえるなんて……」
「……」
「私、自分に自信がなくて……いつも人から嫌われてるような気がしてて……だから謙也くんがそうやって必要って言ってくれるなんてすごく嬉しい……」
私は自分の正直な気持ちを謙也くんに伝えた。正真正銘の自分の気持ちだった。
「私の方こそ謙也くんのこと、大切だと思ってる」
「楓ちゃん……」
「謙也くんはすごく大切な……私の友達、だから」
「……」
すると一瞬間があったあと、謙也くんは目を伏せ、「そっか……」とため息のようにつぶやいた。表情が曇ったように見えて、私はどきりとする。
「……謙也くん?」
「はは、ええねん。……今はそれでも別に。俺が気づくん遅すぎただけやから」
謙也くんはわざと明るく振る舞うようにして、ジュースを一気に飲み干し、テーブルに置いた。
「けど、アイツのことでなんかあったらいつでも言うてな。楓ちゃんの悲しそうな顔、俺は見たくないねん」
いつの間にか日が暮れていて、カーテンの隙間から見える窓の外は暗くなっていた。私は謙也くんの先ほどの表情が気になったが、どうしてか訊くことはできずに「うん……ありがとう」と返事をした。