あっという間に初めての仕事は終わった。仕事といっても矢良さんからいろいろと説明を聞いただけで今日の業務はおしまいだった。
「じゃあ行こうか」
私は矢良さんとともに夕闇先生のお宅の方向へと歩き出した。夕闇先生のお宅はこのきのこ研究所の近所らしい。私は矢良さんの「いずれ出会うことになる」という言葉の意味がよくわからず、疑問を抱えたまま矢良さんにとりあえずついて行った。
「ふむ……」
しばらく歩いていると矢良さんが急に歩道の街路樹のあたりでしゃがみだした。そしてスマホを手に取り何かを撮影し始める。よく見ると土からきのこが生えていた。
「こんなところに生えてるなんて珍しいな。ほら、佐藤さん」
「え?」
「これは珍しいきのこなんだ。こんな町中に生えてるなんてめったにない」
私も矢良さんの隣でしゃがみ込む。そこには不思議な模様のきのこがあった。
「わ、確かにこんなきのこ見たことないです」
「これは普段は山や森でよく見かけるきのこなんだ。なのにこんなところに生えているのは誰かがこの場所に植えたのか……もしくは……」
矢良さんは目の前のきのこについて語り始めた。きのこ研究所の研究員さんなのだからきのこについて詳しいのは当然なのだが、熱心に話す矢良さんは本当にきのこが好きなんだなと感じた。
「矢良?」
不意に後ろから声をかけられて振り向くとそこには綺麗なロングヘア―の女性が立っていた。
「あ?なんだ、おまえか」と矢良さんはうっとおしそうに返事した。どうやら知り合いのようだ。
「なんだとはなによ」
「うるせーな。今、話してんだから、あっちいけよ」
「なになに~?矢良が女の子連れてるなんて珍しいじゃん」
女性はにやにやしながら私と矢良さんを交互に見た。
「おめーには関係ねーだろ」
「あっそ、まぁいいけどー。じゃあ私はほたるのところにでも行くか」
「なにっ!?なんでほたる先生のところに?」
「仕事よ!あんたと違って暇じゃないのよ私は」
「なんだと?」
二人の言い合いが始まった。私はよくわからなくて苦笑する。この女性と話している矢良さんは職場の矢良さんとは違っていて、すごくフランクな感じがした。言い合いするぐらいだからきっと仲がいいのだろう。
「へー、楓は研究所のアルバイトなんだ?」
ある程度言い合いが済むと、私たち三人は同じ目的地である夕闇先生のお宅に一緒に行くことになり、私と女性────天野こまこさん────はお互いに歩きながら自己紹介をした。こまこさんは夕闇先生の幼馴染みだそうで、出版社に勤めていて、夕闇先生の担当の編集者をしているそうだ。
「はい。今日からお世話になっていて」
「そっかー。それにしてもよりにもよってこいつの補助とか……。あ、ストレスが溜まったらいつでも言ってね」
「えっ、ストレス……?」
「おい、おまえいちいちうるせーな」
「心配してあげてんのよ。矢良なんかとペア組まされてかわいそうだからさ……あ、着いた」
住宅街を歩き続けると、木造一階建てのノスタルジックな雰囲気のお家が並び、そのなかに夕闇先生のお宅があった。玄関入口でこまこさんが「ほたるー!入るよー!」と呼び掛ける。チャイムとかを鳴らすのではないところがなんとなく幼馴染みという感じがした。
するとしばらく待ってみても夕闇先生からの返事はなく、その代わりに玄関の向こう側からどたどたと何かが走って来る物音がした。そして引き戸のすりガラスに犬のようなサイズの物影が映りこむ。夕闇先生のペットだろうか?
「あ、いたいた。じゃ、入るよー」
こまこさんがそう言ってガラガラと玄関の引き戸を開けた。
「えっ」
私は目を見開いた。そこにいたのは犬……ではなく、ピンク色のきのこ型の耳、枕のようなぽてっとした体。つぶらな瞳……私が読んでいる絵本と全く同じ姿をした『きのこいぬ』が立っていた。
「きのこ……いぬ……!?」
「!??!」
私が驚いた声を上げると、きのこいぬはビクッとして玄関の奥へと引っ込んだ。