きみの好きなもの4(完)

私たちは東屋の木製ベンチに横並びで少しだけ距離を取って座った。傘はお互いの反対側に少し斜めにしてベンチに立てかける。あっという間に夜の闇へと包まれた辺りは驚くほどに静かだった。東屋の柱にある雨粒の残った街灯がぼんやりと私たち二人を照らしている。
財前くんはポケットから自分のスマホを取り出した。そして慣れた手つきで操作し、私の目の前へ「どうぞ」と差し出した。
私はそれを受け取ろうとする。

「あ」

彼は何かを思い出したかのように突然小さく声を上げた。そしてしばらく黙ったあと彼は「いや、なんでもないですわ」と言って私から目を逸らした。

(どうしたんだろう?)

私は財前くんの妙な態度が気になったが、とりあえず彼のスマホを受け取り、欲しい写真の画像を選ぶフリをしようと思った。画面に目をやると彼が今まで撮影した写真の保存一覧が載っていた。そこには今日と先週の日曜日に私が財前くんと訪れた場所や私自身の写真が映っている。私は人差し指で新しい順から古い順へゆっくり写真をスライドしていった。
最初に目についたのは先ほどいた図書館の写真だった。私が気持ちよさそうに居眠りをしている。

「えっ!?」

私は驚いて彼の顔を見た。「おもろい顔して寝とったんで」と彼は口の端を上げている。これは後で絶対に消してもらおう…私は心の中でそう思った。
続けてスライドすると森林公園の写真になる。木々に夕日が反射して煌めき赤く染まっている。その中心に私がいる。他にも何枚か同じような写真あった。
次は映画館の写真。私が上映前に購入したジュースを飲んでいる横顔が写っている。こんな写真いつの間に撮っていたのだろう。全く気付かなかった。
最後はカフェの写真。私がケーキを食べながらこちらを見て微笑んでいた。どの写真も素人が撮ったと思えないぐらい構図やピントなどの調整が上手く、綺麗に撮影されていた。

「ん?」

スライドをそのまま続けるとふと、ある一定の場所で私の指が止まる。
これは……?
そこには今回とは関係のないテニス部の部活動の時に撮影された写真が映っている。テニス部のみんなや私が写っている写真が何枚もあった。そういえば財前くんはテニス部3年生の男子たちのことをブログに載せると言って写真を撮影していたと思い出す。それは普段の何気ない日常を切り取った写真で、私はそれを見て微笑ましく思った。
しかしスライドを続けて写真を見ていくうちに私はなんとなく『ある違和感』を感じた。最初それは私の思い過ごしかと思っていたが段々そうではない気がしてくる。
私は更にスライドを続けて最後の写真とその日付を見た。心臓が大きな音を立てる。まさか、そんなはずは…と思った。そうだったらいいなとも思ったが私がそう望んでいるだけなのかもしれない。でも可能性としてはゼロではない。しかし確信が持てなくて財前くんに尋ねることはできないと思った。

「ありがとう。写真全部選択したから」

私は財前くんにスマホを返した。

「ほな、画像送っときますわ」
「うん、お願いします。あ、あとごめん。みんなの写真もあったから勝手に見てしまったんだけど……。またよかったら見せてね」
「………」

彼は返答しなかった。すると、しばらく間があってから口を開き、
「なんか、気づきませんでしたか?」と私に尋ねる。

「え、どういうこと?」

私の心臓は早鐘を打った。

「あー、いや、気づかんかったんやったらいいですわ」

彼は少し安心したようにそう言うと、持っているスマホの画面に目を移した。そして「ちょっと待っててください。すぐ送りますから」と言って指で操作し始めようとした。

「……。気づいたよ」
「え?」

私がそう言うと財前くんはすぐに顔を上げてこちらを見た。

「……気づいたって、何にですか?」

財前くんは少し真剣な面持ちになる。

「私の勘違いだったらごめんね……でも」

彼の反応を見て思い違いではないのかもしれないと私は確信する。私は勇気をふり絞り、彼の目を見てこう言った。

「財前くんがみんなのことを撮ってた写真……あれは『私』のことを写してる写真だよね?」

──みんなが写っている写真。何気ない日常の風景の中をよくみて見ると、その写真の全部に『私』がいた。
それはテニス部のメンバーの『誰か』と、そして『私』という構成だった。その『誰か』の方は特に決まっておらず謙也くんの時もあれば白石くんの時もある。たまたまそれに私が紛れてしまったのかとも思ったが、おそらくそれは偶然ではなかった。それはカメラのピントが合っている位置が他のみんなではなくて、全部『私』の方だったからだ。先ほどの彼の写真の撮り方から見てもこれはきっと単なる偶然ではないと私は思った。写真は『私』のことを撮影していた。
そしてみんなが映った一番古い最後の写真の日付。それは私がテニス部のマネージャーとして途中入部してきたちょうどその頃から始まっている。
てっきり今まで彼はみんなのことを撮影しているものだとばかり思っていた。彼は本当はみんなではなくずっと私のことを見てくれていた。それも、いちばん最初に出会った頃からずっと。私が彼のことを気にしていたように、彼も私のことをずっと前から気にしてくれていたのだ。

「……はぁ」

財前くんはため息をついて俯く。

「先輩が思ってる通りです」

彼はまた深くため息をついてそう言った。そして「なんで、写真欲しいとか言うたんですか?」と呟いた。

「まさか言われると思ってなかったですわ……」

彼はずっと俯いたままだった。彼の方にある夜の闇が一層濃さを増したように思えた。私は隣で小さくなっている彼を見つめる。すると、ようやく私は自分の気持ちがはっきりとわかった。小さく深呼吸し、「財前くん」と彼の名を呼ぶ。

「あの、」
「………」
「私、嬉しかったよ」
「え?」

財前くんが顔を上げてこちらを向いた。

「私もずっと前から財前くんと同じ気持ちだったと思うから……」

私が言うと財前くんは目を見開く。

「同じ気持ちって……」

彼は少し驚いたようにして私の顔を見つめた。瞳の奥はどこか揺れているように感じる。

「私、財前くんのこと、ずっと……最初に出会った頃から気になってて……」
「…………」
「それで、もっと、その……財前くんのことが知りたいと思ったの…………だから……」

そう、言いかけた瞬間、目の前の視界が揺れて、すぐそばで何かが倒れる音がした。下の方に目をやると財前くんの傘と私の傘が倒れて、地面に転がっている。何が起きたのかすぐにはわからなかったが、私はどうやら彼の腕の中で抱きしめられているようだった。

「それって、ほんまですか?」

すぐ耳元で彼の声がする。彼の体温を感じて私は自分の体が熱くなった。

「う、うん……」

そう答えると、彼は私の事を抱きしめている腕にぎゅっと力を込める。私は心臓が止まりそうになった。そして彼は私の肩に顔を埋めると深い吐息を漏らした。

「ホンマ焦った……」
「……」
「絶対引かれたんやと思って……」

彼が今どんな表情をしているかわからないが、その声色はかなりほっとしているみたいだった。私も彼の背中におそるおそる腕を伸ばす。

「………」

辺りは静寂に包まれていた。私たちはしばらく抱き締め合ったまま黙っていた。すぐそばで財前くんの呼吸の音がきこえる。この場所だけまるで時間が止まっているみたいだった。しばらくしてから財前くんがぽつり、と話しだした。

「先輩のことやからてっきり写真とか興味ないんかと思ってました」
「それは……」

私は少し躊躇い、言うか迷ったが正直に話すことにした。

「実は写真が欲しいっていうのは嘘で……」
「嘘?」
「その、もう少しだけ一緒にいる口実を……作りたくて」
「………」

彼は何も言わなかった。私は話しながら恥ずかしくなってきて慌てて次の言葉を繋げようとする。

「……あ、あの、さっき見せてもらった私だけ写ってる写真って財前くんのブログに載せるんだよね?」
「え?」

私がそう尋ねると彼は腕の力を緩めて私を解放した。そして私と向かい合って目を見ながら「載せませんよ」と、さも当たり前かのような口調で言った。私は驚いた。

「え、じゃあ財前くんが探してたブログのネタってなんだったの……?」

私は今まで自分がずっと疑問に思っていたことを彼に問いかけた。彼はしばらく黙った。そして私から目線を逸らしてそっぽを向くと「あー、忘れましたわ……」と答えるのだった。

月明かりの下に照らされ、私は財前くんと肩を並べて自宅までの帰り道を一緒に歩いた。
私と彼は手を繋いだ。彼を見て微笑むと彼も同じように私を見て少し微笑んだ。私は財前くんの手がいつの間にか好きになってしまっていた。握った彼の手のひらはやっぱりひんやりとして冷たかったのだった───。

END