きみの好きなもの2

辺りはすっかり日が沈んで暗くなっていた。私は財前くんに家までの帰り道を送ってもらう。そして家に到着するなり自室のベッドに向かい仰向けに寝転がった。ぼーっと目の前の天井を眺めると今日あった一日の出来事を思い返した。
財前くんと手を繋いで、いつか彼氏が出来たら行こうと思っていたカフェに一緒に行った。そして私のお気に入りの映画館で見たい映画のチケットを買ってくれていたのでその映画を一緒に見る。最後は私がずっと行きたかった公園に連れて行ってもらい、辺りをぶらぶら散歩した後、私を家まで送り届けてくれたのだった。
「これってなんだか…」
今日の出来事に相応しいあるひとつの言葉を思いつく。しかし、まさかそんなはずは…と思って首を横に振ると、私はそれを打ち消した。
今まで財前くんにこれといって私の話をした覚えはないので、彼と私の行きたい場所や見たかった映画が『偶然にも』一致していた、ということだろう。でもそれでは少し違和感があるような気がした。そもそも財前くんがブログで記事にしたいこととは一体なんなのだろう。私をわざわざ呼び出すということはある程度書く事は決まっているのではないだろうか。
うーん、と唸りながら私は寝返りを打った。
頭の中でもやもやとした疑問が残る。来週また彼と会えばそれはハッキリするかもしれないな、と思った。私は何だか知らないが来週のことを思うと胸がそわそわとして落ち着かなかった。
***
私の気持ちはよそにあっという間に次の週の日曜日になった。
天気は雨。小雨がしとしとと静かに降り落ちてはアスファルトに染みを作った。傘をさしながら街路樹のそばを歩くと土の湿った匂いがした。
先週と同じく、待ち合わせ場所に指定された駅前の噴水広場に行くと、先に私服姿の財前くんが傘をさしてスマホを見ながら待っていた。

「ごめん、待った?」

私が声を掛けると、

「俺も今来たところですわ」

と、彼は顔を上げてこちらを見た。

「ほんなら行きましょうか」

そう言うと彼はそのまま進んでいき、私の手は取らなかった。きっと雨で濡れてしまうからだろう。私は心なしかその事を残念に思ってしまう。自分でも驚いた。

「今日、雨やから行こうと思ってた場所は辞めとこ思って。代わりに先輩が行きたい場所あったら教えてください。雨でも行ける場所で」

『行こうと思っていた場所』というのが気になったが、そこに触れずに私は雨でも行けるような場所を考える。

「行きたいところは、あるにはあるんだけど…」

私は少し躊躇しながら言う。言いながらも、こないだも全部私が行きたいところだったんだけどな、と思った。

「どこですか?」
「絶対ブログのネタにはならないと思う…」
「行ってみないとわかりませんよ」

普段から行動範囲の狭い私が行きたい場所といえばここしか思いつかなかった。

「図書館、ですか」
「うん」

前に借りていた本をただ返したかっただけ、というたったそれだけの理由。地元の図書館だったが結構広々としていて建物も大きかった。本の種類もなかなか豊富に揃っているので私は特に何もすることがない日は大抵ここに来ていた。

「駄目かな?」
「別に、ええんちゃいます」

写真映えなどするような場所ではなかったので、彼のブログのネタにはならないのではないかも…。と思ったが特に財前くんは気にする様子もなく着いて来てくれた。
雨で濡れてしまった傘を入り口にあるビニール袋に取って仕舞い、カウンターで私は借りていた本を返却する。

「あれ?いない…」

振り返ると先ほどまでいた彼の姿はなかった。読みたい本でもあったのだろうか。辺りを探したが見つからない。とりあえず私は今回借りた本の続編がある棚の場所へと先に行ってみることにした。

「あった」

棚に『文芸(小説)』と札が貼ってあり、作者順に並んでいる。埃っぽい独特の匂いがした。私は壁際の一番奥の棚の前に行き、目当ての本に手を伸ばした。しかし、

「と、届かない…」

一番上の上段にあったため私の身長では微妙にあと少し届かなかった。

「これですか?」
「!」

すぐ斜め後ろから声がして私の伸ばした腕に覆い被さるように真横からもう一つの手が伸びてくる。そして私が欲しかった本をさっと取り去った。少しだけその手と私の手が触れ合う。触れ合った部分から冷たい感覚がした。

「財前くん?……!」

私が振り返るとやはり彼の姿があったが、彼との距離があまりに近すぎて私は目を見開く。反射的に後退りしようとするとすぐ後ろに棚があるため身動きがとれなかった。

「ようこんな漢字ばっかりの本読めますね」

財前くんは先ほど取った文庫本をパラパラと捲り私を見る。
私は思わず彼から視線を逸らしてしまった。
棚の間の通路は人が二人入るには狭く、向かい合うと自ずと至近距離になってしまう。その近すぎる距離に私の心臓はさっきからうるさく早鐘を打っていた。
この間は彼と手を繋いでも、カフェで向かい合っても、映画館で隣に座っていても、その距離を何とも思わなかったのに。どうしてだろう……と私は思った。
彼はというと特にこの状況を気にしている様子はない。彼がこの場所から移動してくれないと私は彼と本棚に挟まれたまま動けない。私はすぐ側にいる彼に自分の心臓の音が聞こえてしまわないかと気が気ではなかった。
そんな私のことなどよそに「どうぞ」と彼は淡々として私に本を手渡す。お礼を言って落ち着かないままそれを受け取ると、彼のもう片方の手に持っている本が目に入った。

「……楽譜?」
「ん?ああ…」

『ギター』という文字が見えたのでなんとなくそんな気がした。
彼はこれを取りに行っていたのか、と思う。

「もしかして楽器弾けるの?」
「はぁ、まぁ多少ですけど」
「え、そうなんだ。知らなかった、すごいね」
「別に、すごないですよ」

音楽が好きなことは少しは知っていたが楽器も弾けるとは初耳だった。

「財前くんのさ……」

私は財前くんの方をゆっくりと見た。今は心臓の音がさっきよりも落ち着いている。

「好きなものとか、ぜんぜん知らなかった」
「まぁ……話してませんから」
「そう、だよね……」

よく考えると私は財前くんことをあまりにも知らなすぎるような気がした。
何が好きとかテニス部のこととか。 彼とはこの間までほとんど話をすることはなかった。学年も違うし、部活でもあまり話さない。向こうがあまり自分から話すタイプではないということもあったが、個性豊かなテニス部員たちが賑やかすぎるため、何かを話そうとしてもいつも周りに掻き消されてしまっていた。
以前から彼を見ていると、なんとなくだが自分と似ている雰囲気を持っている気がした。私は彼のことをいつも遠巻きから見つつも、少し気になっていたのだ。

彼はこの間から一体何を考えてこうやって私と一緒にいるのだろう。
ブログのネタ探しだって言っていたけれど本当にブログのネタのためだけ?ただそれだけのためなのだろうか。本当は……。

「…………」

急に辺りがしんとする。いつの間にか私が黙っていると財前くんも黙っていてお互い何も言わずにいた。静かな館内の窓の外からは雨が降り注いでいる音がする。
私は彼を何気なく見つめると、彼と視線が重なり合った。その瞬間、私はなぜか急に彼のことをもっと深く知りたいと思ったのであった───。