謀は密なるを貴ぶ

昼休みのチャイムが鳴ると同時に私は席を立った。そして彼に言われた通りに自分の鞄から二人分のお弁当を取り出すとすぐに教室を出る。廊下では授業から開放された生徒たちが一斉に教室から出てきて騒がしい空気へと変わっていった。窓の外からは柔らかい春の日差しが降り注いでいる。

渡り廊下を通りすぎて階段を降りると目的の二年生のクラスにたどり着いた。私は教室の入り口付近で彼の姿が現れるのを待つ。まだだろうか…。彼はなかなか教室から出て来なかったので、私は緊張してそわそわと落ち着かなかった。

するとようやくして彼──財前くんが教室から出てきて私と目が合った。ふと彼の後ろを見ると彼と同じクラスと思われる女子がいた。その女子は「光くん、お昼一緒に食べよう」と言って彼の腕の袖を引っ張っていたため、私はそれを見てなんとなく悟った。

「……」

財前くんはその子のことに見向きもせず私のもとへとやって来る。そして私の片方の手に自分の手を重ね合わせると指と指の間を絡ませてぎゅっと握りしめた。

「!」

私はびっくりしておもわず彼の方を見たが彼は表情を変えずに平然としている。そして財前くんはその子に振り返ってこう言ったのである。

「俺、昼メシ彼女と食べるから、他当たってくれへん?」
「…………」

その瞬間、今までにこやかだったその子の表情がみるみるうちに曇っていった。そして彼の隣にいる私に目線を移すと物凄い形相で睨んでくる。私は一体どんな顔をしていいかわからなくて思わず視線を落としてしまった。

「行くで」
「あ…うん」

その子に背を向けると、財前くんに手を引かれて私たちは中庭の方へと向かったのであった。

***

「あの、もう少し普通にしてもらえません?」

「あれやったらバレますよ」と財前くんが言いながら私の作ったお弁当の卵焼きを頬張った。

私たちは中庭のベンチで横並びに座り昼食をとっている。ここは中庭でも特に人気のない場所であった。木陰から日差しが差し込んでゆらゆらと揺らめいている。辺りは穏やかな陽気に包まれていて心地がよかった。

「普通って言われても…」

私は今まで誰かと付き合ったことがなかったので財前くんが言う普通というのがわからなかった。そういえば財前くんは付き合ったことがあるのだろうか。

私はお弁当を食べながら「財前くんってなんで彼女作らないの?」と聞いた。すると彼は「は?」と怪訝そうな顔をしてこちらを見る。

「だってこんなにモテるのにもったいないよ」
「はぁ…?」
「彼女を作らないのは何か理由があるの?」
「別に…ありませんけど」
「もしかして好きな子とかいたりして」
「………」

彼は唐揚げに伸ばそうとした箸の動きを止めた。そして「俺のことより先輩はどうなんですか?」と私に尋ねる。

「私?私はそういうの全然ないよ」
「俺より自分のこともっと気にした方がええんちゃいます?」
「うーん、そうかな?」 

私はまるで他人事かのようにそう返答する。頭を捻ってみても自分が恋愛をするだなんて想像もつかなかったからだ。

***

今からちょうど一週間前━━。

財前くんに急に呼び出されて『一日だけ彼女のフリをして欲しい』と頼まれた。

彼の話を聞くと、どうやら最近面倒な女子に言い寄られていて困っているとの事だった。一度は断ったがその子はどうしても彼のことを諦めきれないらしい。財前くんに彼女が出来なければそのままアタックし続けると言い張ってそれ以来ずっと彼に付き纏っているようだった。

痺れを切らした彼が考えた策は私に『彼女のフリ』をしてもらい、それをその子に見せつけて自分のことを諦めてもらおう、というそういうものだった。

その策を聞いて私は最初は悩んだ。いくらフリともいえど人を騙すなんてこと出来るならしたくない。けれど私には以前だが財前くんに助けてもらった恩があったので彼のお願いを断ることはできなかった。それに一日だけという限定なら…と私はOKしたのである。

そしてその策が先ほど実行されたというわけだった。これで大人しく諦めてくれればいいけど…と私は思う。

***

彼女のフリをすることになった日の放課後。今日の部活は休みだったため、校門前で私たちは待ち合わせをしてとりあえず一緒に帰ることとなった。

再開するなりまた財前くんは私と手を繋いだ。今度は彼のそばに例の女子がいたわけではなかったがもしかしたらどこかで見られている、なんてこともあるのだろうか。よほど付き纏われて困っているのだと思い、私は彼に同情した。

「今日の弁当…」と、私の隣を歩きながら彼が呟く。

「あれって今日だけですか?」
「え?」

唐突に言われたのでどういう意味かわからなかった。お弁当は『彼女のフリ』をした私とお昼休みを過ごすために彼が作ってきて欲しいとリクエストしてきたのものだった。

「そういえば、味どうだった?」
「うまかったです」
「そっかよかった…」
「また作って欲しいんですけど」
「うん。じゃあ今度また財前くんの分も作って来るね」

夕焼けが段々と赤く濃く染まっていく。

そんな会話をして彼とは別れた。
しかしそれは今度ではなくすぐに訪れることとなる。

次の日になると私たちが付き合っているという噂が学校内で瞬く間に広まってしまっていた。朝、自分の教室に入るなり白石くんと謙也くんに「財前と付き合ったってホンマなん?」と問いただされ、私は自分の考えが浅はかだったことを思い知る。一日だけの都合のいい彼女なんて居るはずがなかったのだ───。