私は思った。私の存在はいったいどこにあるのだろう?人の記憶になければ、それは最初からないのと同じだった。すぐにその場所からいなくなってしまう私は他人にとって、いつも忘れ去られる過去でしかなかった。
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「お母さん、ただいま」
玄関から家に入ると、私はいつものように写真立ての中にいる母に挨拶した。当然のことながら彼女から返事が返ってくることはなかった。
「今日ね、なんでか分からないけどテニス部のマネージャーになったんだ……」
「また転校するのに……なんでなんだろう」
「きっとまた忘れちゃうのにね……」
私は写真に一人で話しかけて、ぎこちなく微笑む。彼女は写真の中で笑っていた。
「私は絶対にお母さんのこと忘れないから……絶対に」
自分に言い聞かせるようにしながら、私は母の写真を見て誓う。人から忘れ去られる悲しさを知っているからこそ、死んだ母のことだけは何があっても絶対に忘れたくないと思った。
︎ ︎ ︎
いつものように夜ご飯を作り、一人で食べて、家事をひと通り終えると、私は自分の部屋のベッドに潜った。そして深夜になると、いつものように物音がして私は目覚める。父だ。父が帰ってきた。その途端、私はとてつもなく嫌な気分になった。
父は母が死んでからというものの、家にまっすぐ帰って来なくなった。いつも夜の12時を過ぎて、深夜になってからの帰宅。私がある日、トイレに行こうとして、部屋から出て父とすれ違った時、父からお酒と女物の化粧品のきつい匂いがしていた。それは思い出すと、母が死ぬ前にも同じ匂いを幼い頃に父から嗅いだことがあった。父は母以外を見ている。私は悟った。そして私を放ったらかしにしても別の人と関係を持つことの方が大切なんだと感じて、気分が悪くなる。
父は母が死んだ後に仕事を転々としていて、そのせいで私は小学校の頃から何度も引っ越す羽目になった。私はその度に幾度となく友達と離れ離れになった。
***
ある時、引っ越してから前の学校の友達に久々に連絡してみたことがあった。
「もしもし」と私は電話越しに話し掛ける。
「……もしもし」
「あの……佐藤楓だけど、元気?」
「佐藤……えっと、誰だっけ?」
「……」
「佐藤楓……あー、そっか。で、何か用?」
その反応に私は背筋がゾッとした。友達だと思い続けていたのは私だけだったんだ。恥ずかしいような悲しいような、虚しくてどうしようもなくなって泣きたくなった。
幼い私は、いくら寂しくても悲しくても泣いても誰にもすがることが出来なかった。家族と話すこともない。私はいつも何があっても一人で耐えることしかできなかった。
転校しては友達と離れる……その繰り返しだった。私は出会ってもまたどうせすぐに別れるのだと思い、ある時からそれほど仲を深めようとしなくなった。
それから私は人の現在にはいないんだと思うようになった。たとえ現在になれたとしてもすぐにそれが過ぎ去ると、過去の記憶でしかなくなってしまう。そしてまるで夢から醒めたようにして、私の記憶はいつの間にか消えてしまう。
私など初めから居ないかのようにして、ただ日々は過ぎていくんだと思った。