夜風が通り過ぎてザワザワと木々が揺れる。はっと我に返って辺りを見渡した。周辺は明かりもなく真っ暗である。
「ここ、どこだろう……」
いつの間にか私は森の中にいた。さっきまで道路沿いの歩道を歩いていたはずだったのに。考え事に夢中になっていたせいだろうか。周りが見えておらず、どこをどう歩いたのかまるで覚えていない。完全に迷子になってしまった。
本当はもっと早い時間に帰宅する予定だった。こんなにも遅くなってしまったのは完全に仕事を断りきれない私の責任だった。職場で大変な役回りの仕事ばかりがなぜか私に回ってきて、気がつくといつの間にか他人の分の仕事まで引き受けてしまっていた。文句を言えない私も私だが、なんとなく断りきれなくてつい引き受けてしまっていた。そうして帰り道、仕事のことばかり考え出すと止まらなくなり、気がついたらこの場所にいた。
(はぁ。私のせいだから仕方ないんだけど……それにしても仕事多すぎだよね)
思い出すとだんだんと悔しくなってきて、ふと目から涙が溢れてきた。
すると、突然背後からガサッと物音がした。
「ひゃっ!?」
「んっ?誰だ……?」
照らされたライトが眩しくて思わず目を細める。振り向くとそこには短髪のメガネを掛けた男性がこちらに懐中電灯を向けて立っていた。
「え……?あの、大丈夫ですか?」
男性は私を見て心配そうに声をかけた。私はあわてて涙を手で拭う。
「あ、はい。すみません……道に迷ってしまって」
「ああ、そういうことか」
男性はぼそっと納得したように呟くと「じゃあ公園の出口まで案内しますから。オレのあとに着いてきてください」と、慣れた素振りで私の前を歩き始めた。
「え、あの……!」
私は呆然とした。いきなり現れたこの男性を信じていいのだろうか。なんとなく悪い人ではないような気がするが、こんな時間にこの場所で一人でいったい何をしているのだろう。しかし帰り道が分からない私は彼のあとに着いて行く以外に他はなかった。
「ここの公園の奥は森になっていて夜は道が分かりづらいですから。危険だしあまり入らない方がいいですよ」
前を歩く男性が私に話しかける。
「は、はい。すみません。でも、あなたはここで何を……?」
「あ、失礼しました。オレはこの裏にある『きのこ研究所』の職員です」
「えっきのこ研究所、ですか?」
「はい」
私はそれを聞いて安心した。きのこ研究所というのはどういう施設なのかよくわからないが、そこの職員さんということはきっと怪しい人ではないだろう。
「この森に夜にしか見れないきのこがありまして、それを観察するためにここにいたというわけです」
「そうだったんですね。あっ、もしかして私邪魔してしまったんじゃ……」
「いえ、そんなことは。あ、でももしよかったら一緒に見ていきませんか?」
「え?きのこをですか?」
「はい。さっき見た時はまだだったので」
「?まだ?」
「まぁ見ればわかりますよ。すぐそこなので」
男性は私の方を見て少し微笑んだ。まだとはどういう意味だろう。よくわからずに男性に着いて行くと、地面に小さく光っている複数のものが見えた。
「わぁ……!」
私は目を見開いた。そこには一面、緑色の光を放っている小さなきのこがたくさん生えていた。
「ここのきのこは夜になると光るんです。さっき通った時はまだ光っていなくて」
男性はしゃがみ込んでスマホできのこの写真を撮った。私もきのこに近づいてしゃがみ、その形状をまじまじと見つめる。
「は、初めて見ました。きのこって光るものもあるんですね……素敵です!」
風でふわふわと揺れるきのこの光は幻想的で美しく綺麗だった。まるで絵本の世界のようで、私は驚きと感動で胸の奥がどきどきとした。
「ふふ、そうでしょう。きのこは謎が多いですからね。まだ未知のものがたくさんありますよ」
男性はメガネをくいっとあげて少し得意げにした。
「よければ今度は昼間に来てみるといいですよ」
「はい。ありがとうございます。素敵なものを見せて頂いて」
「いえ。では出口まであと少しです。行きましょうか」