放課後、校舎から外に出ると夏のジリジリとした日差しが私に照りつけた。思わず足を止めて、額からにじんだ汗を拭う。すると「佐藤先輩」と聞き覚えのある声が背後からした。
「財前くん?」
振り向くと財前くんがいた。彼は眩しそうに目を細めている。
「財前くんも今から部活?」
私が尋ねると、彼はため息を漏らした。
「こんな暑さで部活やるとか、ホンマおかしくないっすか」
「うーん、たしかに暑いよね……」
私は頭上に広がる青空を見上げた。目を細めて太陽を手で覆い隠す。太陽の光を浴び続けるとまるで全身が溶けていきそうな感覚に陥った。
「ってか、一緒にサボりません?」
「え?サボる?」と思わず彼の方を見る。すると彼はおもむろに私の腕を掴むと、部室ではない校門の方へと足を進めた。
「え、ちょ、どこ行くの?」
私は彼に無理やり連れられると、目を見開いた。
「言うたでしょ、今からサボるんです」
「え、部活は?というか、なんで私まで?」
「共犯者がおった方が、言い訳する時に丁度いいやろう思って」
「いやいや共犯とか絶対に嫌なんだけど」
「俺、今日誕生日なんすわ」
一瞬何を言われたのか理解できなくて、私はぽかんとする。彼は立ち止まると「俺の誕生日、知ってました?」と言い私を振り返った。私はなんと返答するか迷ったが、しばらく黙ったあとに「知ってたよ」と答えた。
「顔に知らんって書いてありますよ」
「えっ」
あっさりと心の中を読まれて、私は瞬きをする。財前くんは少し呆れた顔をした。
「まぁいいですわ。とりあえず誕生日ぐらいは俺のお願いきいてもらえます?」
「お願い?」
私は首をひねった。お願いとはいったい……。しかし彼はそのこと以外は何も言わずに私の腕を引っ張ると、また先へと歩みだした。私は少し戸惑ったが、結局彼に連れられていってしまった────。
***
「はぁ、あっつい……」
私はうわごとのようにその言葉を繰り返した。辺りは太陽からの熱気に包みこまれていた。アスファルトの照り返しがきつく、目の前に続く道がぼんやりと揺らめいている。
私は財前くんに連れられるがままに歩いた。彼はサボると言っていたが一体どこに行くのだろう……。それにいつの間にか私の腕を掴んでいた財前くんのその手は、なぜだか私の手の方に移動している。私はそれに気づいてはいたが特に何も言わなかった。彼の手はこの暑さとは対照的にひんやりとして冷たかった。
すると、テニスラケットを持った小学生くらいの男の子が私たちの目の前を横切った。私はそれを見ると少し胸が痛んだ。隣を歩いている彼を見たが、特にその事を気にしている様子はなさそうだった。
「財前くんさ、今日のことみんなになんて言うつもりなの?」
私は心配になって彼に尋ねてみる。彼は私のことを横目で見ると「とりあえず佐藤先輩のせいにしとこう思って」と何の悪びれもせずにそう言った。
「は!?なんで?」
「俺の誕生日なんやから、それくらい我慢してください」
「いや、誕生日ってなんでも許される日じゃないから」
そんなやりとりをしながら歩き続けていると、ふと、視界の端にカラフルな外装のキッチンカーが停まっているのが流れていき、私はそちらを向いた。
『かき氷』……。キッチンカーの前に立てかけられた黒板の文字が目に入る。
「どんだけ欲しそうに見てるんです?」
「えっ」
「食べたいんですか?」
彼は私の視線の先に気がつくと、そう尋ねた。私は少し悩んだが頷いて「財前くんは?」と振り返った。
「佐藤先輩の奢りやったらいいですよ」
「やっぱり。そう言うと思ったよ……」
私はため息と同時に肩をすくめた。だが今日は彼の誕生日だ。いつもなら断るが今回は奢ってあげてもいいかなと思い、彼に返事をした。
しかし私はすぐに後悔することとなる。彼はお店のメニューの中でもそこそこお値段のする宇治金時のかき氷を何食わぬ顔で注文したのだ。
そういえば忘れていたが彼の中に「遠慮」という文字はないのだった。
滑らかに削られた氷の上に深緑色のシロップがたっぷりと染み込んでいった。更にその上から餡子、白玉、きな粉、わらび餅、バニラアイスが、私のお財布の中身などおかまいなしに次々とトッピングされていく。私はそれを眺めると少し涙目になった。
「はい、どうぞ」
二つのかき氷が出来上がると、私は気を取り直してその一つを彼に手渡した。
しかしふと気づいて「あっ」と小さく声を上げる。そして「誕生日おめでとう」と付け加えて、彼ににこっと微笑んだ。
「『あっ』って……今のおもいっきり後付けですやん」
彼は少しふてくされた表情をした。しかし「まぁ、いいっすわ。おおきに」と言い、私にやわらかく微笑むとそれを受け取った。
「?……どうしました?俺の顔なんかついてます?」
私は目の前を見て固まっていた。こんなに素直に微笑んでいる彼をあまり見たことがなかったので、暑さのせいで幻でも見ているのだろうかと思った。
私は「ううん、別に」と言って彼と反対の方を向いた。心なしか頭の中がだいぶ熱を帯びているような気がする。
私は頭を冷やそうと自分のかき氷をスプーンから頬張った。口いっぱいにシャリシャリとした氷の食感、そしてシロップの甘さが広がっていく。幸福感と爽涼感が合わさると胸がすーっと満たされていき、自然と頬がゆるんできて笑顔になった。
「……ん?」
ふと視線を感じて隣を見ると財前くんと目が合った。彼はまだ自分のかき氷を一口も食べないで、どうしてか私のことを見ていた。
「?……どうしたの?食べないの?」
その時、急に私の制服のポケットから着信音が流れた。スマホからメッセージを確認すると謙也くんからであった。そういえば私たちは部活をサボっていたのだ。私はそのことを思い出すと胸がまた少し痛んだ。
しかしメッセージの内容を確認すると、私は目を見開いた。
『今日の部活中止になってんけど、財前から聞いてる?なんかあいつ楓ちゃんに直接言うから邪魔せんといてくれっていうててんけど』
「…………」
「……?佐藤先輩?」
しばらくぼんやりとしていた私に彼が声を掛けた。彼は少し溶け始めた自分のかき氷を食べ始めている。私は「ううん、なんでもない」と返事をして、自分もまたかき氷を食べだした。空を仰ぐと相変わらず太陽は私たちに照りつけていて、暑かった。
私は彼を横目でちらりと見た。今日は彼の誕生日だから、しばらく私は気づいていないフリをしておくことにしよう。