冬空の夜とチョコレート

 

 体がダルすぎてこのまま一日中寝て過ごしてもええんちゃうかと思ったけど、隣にいるこいつがさっきから俺の顔をじっと見てきて、「なんやねん、なに訴えかけてきてんねん」って口に出そうとしたら喉が渇きすぎてたせいか、声がぜんぜん出えへんかった。

 昨晩はいつの間にかパソコンの前で寝落ちしてしまった。いったい俺何時まで作曲作業やっててん。しばらく思い出そうとしたけど、自分があまりにも作業に没頭しすぎてたせいか時間の感覚がなくなってしまってて結局わからんままに終わった。

 リビングのソファに座ったまま水飲んでぼうっとしてたら、また隣から視線を感じる。いや、だからなんやねん。

 「ワン!」

 いきなり鳴き声が耳元に響いてビクッとする。頭ん中に入ってきてキーンとなる。
 「おい、急に吠えんなや」犬相手に言うてみたけど案の定なんも届いてなくて「ワン、ワン!」と今度は嬉しそうに尻尾振って何度も吠えてきた。俺はおもわず「はぁ」とため息をつく。

 『光へ。お母さんたちおばあちゃんのところに行くから帰りは遅くなります。お昼は冷蔵庫にあるから食べてな。あと〇〇の散歩とエサよろしく』

 うなだれていると、ふとテーブルにあったメモが目に入った。

 犬の散歩?めんどくさ……せっかく部活休みやから寒いし家におろうと思ったのに。

 台所に移動して冷蔵庫から昼ごはんと称された昨晩の残り物を取り出してレンジにかける。中でぐるぐると皿が回る。おばあちゃんが最近入院したらしくて、親たちは休みの日のたびに電車で遠方まで行っていた。
 最初俺も行かんでええんかって親に聞いたら「部活で忙しいやろうからあんたは来んでええ」って言われて、気使われてるんか、逆に邪魔やと思われてるんかどっちやねんって言葉には出さんかったけど、どっちにしろ俺は必要ないんやってなって、なんや煮え切らへんかった。

 「……ってアイツどこいってん?」

 ちょっと目はなした隙に犬おらんくなってるやん思ったら、俺の部屋からごそごそと物音がしたから慌てて部屋に向かった。

 「ワン!」

 いや、なに普通に俺の部屋におるねん。ドア開けっぱなしにしとったの俺やけど。机の上に作曲の機材とかパソコンが置いてあるから部屋には入らさんように注意しとったのに。しかし犬はそちらには興味がないらしく、反対側にある棚の上の小さな箱にむかってずっと「ワン、ワン」と吠え続けている。

 「?なんやねん、おまえそれ欲しいんか?」

 棚に近づいて箱を手に取ると犬は二本足で立ってジャンプし、俺から箱を取ろうとした。

 「あかん。おまえはこれ食べられへんねん」

 俺は腕を伸ばし犬から箱を遠ざけた。すると箱からチョコレートのカカオの匂いが鼻をかすめた。

 

 『財前くん、はいどうぞ!』

 一瞬だけ期待したが義理チョコやろうなこれ、と貰った時にすぐわかった。その理由に部室でみんながおる前で俺だけにくれることなんてまずありえへんやろ。付き合ってもないのに。
 俺はマネージャーの佐藤楓の顔をおもむろに見た。やはり俺の勘は正しかったようで楓先輩は次々に部員たちにチョコを配っていた。俺が近くにおったから一番目に渡されただけのことやった。なんやねん、なに勘違いしてんねん俺、サムイわ。けど手作りを渡すってどういうことなんやろう。本命はまだおらんのやろか、とか、なんかわからんけどいろいろ気にしてる俺なんやねん。

 「ワンワン!」

 犬は吠えながらまだしつこく俺の手元を狙っている。「エサの時間まだやろ」と言ってももう箱にしか目がいっていない。「そんなに欲しいんやったら、これ変わりにやるわ」と、俺は箱のラッピングについてたリボンを犬に仕方なく渡した。すると犬は鳴くのやめ、匂いを嗅いだり、口にくわえたりしてリボンで遊び始めた。

 「はぁ、やっと大人しなった……」

 ほんまは渡したなかったけど、どうせ俺は義理でみんなと同じなんやと思ったらもうどうでもええわと思った。しかし俺の片手にある箱の中身にはまだチョコが残っている。バレンタインデーから数日経ったのに俺はチョコを一口だけ食べたあとはなぜかもったいぶってほとんどを残したままでいた。

 「ほんま、煮え切らんわ」

 思わず口からこぼれた。そういえば頼まれていた犬の散歩のことを急に思い出して、もうなにもかも面倒くさいねんと深くため息をついた。

 「ワン!」

 すると、しばらく大人しなっていた犬がまた吠え出して、なんやねんと足元を見る。リボンに飽きたのか、今度は別のものをくわえて俺を見上げて尻尾を振っている。

 「……?なんやそれ?首輪?」

 透明のチューブの首輪のようだった。俺はそれを見てピンとくる。

 「それネットでよく見るやつやん」

 SNSとかでめっちゃ光ってる犬の写真とかよく流れてくるけど、完全にそれやん。俺ん家も同じやつあったんや。

 「おかん、いつもこれで散歩行ってるんか……」センス独特やな。試しにスイッチを入れると、首輪は物凄い速さで七色にクルクルと光り出した。

 「やば、イルミネーションやん」

 夜に散歩する犬の安全を守るための首輪らしいけど、クリスマスに飾られているイルミネーションと同じくらい派手やった。

 これ開発した人絶対おもろいと思って作ったやろ。それにしてもこれで散歩行ったら絶対周りから見られるやん。だいぶハズいな。けどもう少し暗くなったらこいつの写真映えそうや。それにもしかしたらブログのおもろいネタになるかもしれへん。俺の散歩に行く気力がほんの少しだけ上昇する。

 「……まぁ、しゃあないから散歩行ったるわ」

 「ワン!」

 犬は光る首輪をつけたまま嬉しそうにして、同じ場所を何度もくるくると回った。

 

 外が少し薄暗くなり、表へ出ると寒々とした空気が身を包んで思わず「さむっ」と声が出た。

 「ワン!」

 犬は光っていた。夜になると余計に発光している感がすごい。とてつもない勢いでクルクルと七色の光が回っている。なんやこれ、シュールすぎるやろ。俺はスマホで写真を何枚か撮った。

 犬の散歩に行くのは何気に初めてで、散歩コースとかはよくわからんからとりあえず犬について行くことにした。

 「見て!犬が光ってるー!」「ほんまやー!かわいい!」

 住宅街をすれ違いざまに何人かがそうやって言っていた。絶対言われると思っとったけどやっぱりハズいな……。犬は可愛いと言われたことが嬉しいのかドヤ顔をしてこちらを振り返っている。なんやねんその顔。

 それにしても犬って真っすぐ飼い主のあとを歩くんちゃうんか。左右にフラフラと好きなように歩くわ、急に立ち止まったり匂い嗅いだり、動かんかったり、自由すぎるやろ。おかん、どんなしつけしとんねん。

 しばらく犬の動きのままに翻弄されていると、突然犬がピタっと立ち止まった。すると、何かに気づいたようにして走り出した。

 「ちょっ、おい、なに急に走り出してんねん」

 七色に発光している犬が一目散に何かを目指して走っている。リードを引っ張ろうとするが意思の強さが見えて、もうええわと諦めて一緒に小走りになる。発光してる犬と走ってる俺。周りから見たら光る首輪犬につけて嬉しくて興奮してるやつみたいやん。なんやねんこの状況。それに今日は部活休みやったからトレーニングはせんと思っとったのに。こっちは体のダルさもまだ抜けてないねん。

 頭の中で悪態をつきながら俺はしばらく走り続けた。すると犬がまた急にピタっと止まる。今度はなんやねん。俺は思わずその場所を見上げた。そこはごく普通の一般家庭の一軒家だった。ただし俺はこの家の前に何度か来たことがある。

 『佐藤』

  表札にはそう書かれてあった。

 「いや……なんでここやねん」

 「ワン!」

 「よりにもよってこの場所……」

 「ワン?」

 「っておまえもしかして……あのリボンの匂いで?」

 「ワンワン!」

 「って吠えんでええから」

 箱のラッピングのリボン。まさかあれに楓先輩の匂いがしてここまで来たんか?こいつどんな鼻してるねん。意外と警察犬になれるんちゃうか……っていうかこれぜんぜん散歩コースとちゃうやん。俺なに一緒になって走っててん……。

 「はぁ、ほんなら帰るで……」

 気を取り直してリードを引っ張った。しかし犬は全く動こうとせずに門の前に陣取っている。

 「いやなにしてんねん、おまえめっちゃ光ってるし、このままやったら俺が不審者やと思われるやろ。はよ家帰るで」

 俺が無理矢理リードを引っ張るが、犬は前足に力を入れて踏ん張っている。俺は更に力を入れてリードを引っ張ると、犬がずずず……と俺に引きずられて悲しそうな声で「クゥン」と鳴いた。その時だった。

 「財前くん?」

 ガチャリという玄関のドアが開く音と同時に、俺の名前が呼ばれた。

 「わぁ、すごい!犬!?光ってる?」

 楓先輩はこちらに駆け寄った。門を開けると犬を見て驚いたあと嬉しそうににこにことした。俺は突然楓先輩が家から出て来たので思わず面食らう。

 「なんか窓の外見たらイルミネーションが見えて、おもわず出て来たんだけど……犬だったんだ!」

 楓先輩は笑いながら俺の顔を見た。ほら、見つかってしまったやろ。どないしてくれんねん。しかし心の声とは裏腹に焦るどころか俺は楓先輩を見てテンションが上がってることに気がついた。

 「財前くん、犬の散歩してたんだ。めずらしいね」

 「……あー、まぁ頼まれたんで」

 ほんまはここまで来るつもりなかってんけど……と思いながら俺は平静を装う。

 「そうなんだ。なんかワンちゃんすごい光っててかわいいね。あれ?これって……」

 楓先輩の目線をたどると、犬が何かをくわえていた。さっきはなんもなかったのになんや。楓先輩は屈んでそれを手に取った。

 「リボン……?これ、もしかして私があげたチョコのやつ?」

 「!」

 それは楓先輩からもらった手作りチョコの箱についていたリボンで、さっき俺が家でやけくそになって犬に渡したものだった。

 「いや、おまえいつの間にくわえとってん」俺が驚いていると楓先輩は犬の首輪のところにリボンを結んで綺麗につけてあげた。「うん。似合ってる、よかった」そう言って犬に微笑んだ。犬はドヤ顔をしてこちらを見ている。

 「リボン残してくれてたんだね。もう捨てちゃったかなーって思ってたのに」

 楓先輩は立ち上がると俺の顔を見てふふっと笑いながらそう言った。

 「このリボン、財前くんが好きな赤色にしたんだ。前に赤が好きだって言ってたから」

 「え……」俺はぽかんとする。

 「赤っていうかカーマインが好きって言ってたでしょう?同じような色がなくてさ、探してやっとみつけたんだ」

 「……」

 「けどワンちゃんもこの色が似合うみたい。よかった」

 「ワン!」と犬は返事をするように吠えた。
 さらりと言われたことに俺は動揺を隠せなかった。

 「そういえばチョコの味ってどうだった?」

 「……」

 「抹茶にしてみたんだけど……苦くなかった?」

 「……いや、うまかったです」

 「ほんと?それはよかった!」

 「……」

 「ちょっと難しかったけど挑戦してみたんだよね。うまくできててよかった」

 「楓先輩、ひとつ訊いてもええですか?」

 「うん?」

 それって俺にだけですか?と訊こうと思ったが、突然俺が持っていたリードが強く引っ張られた。おい、さっきまで全然動かんかったやろ。

 「立ち話に飽きたのかな?」

 「おまえタイミング絶妙に悪いねん」

 「ね、ワンちゃん散歩行きたそうだしさ、私も買い物行くから途中まで一緒に行ってもいい?」

 俺は頷いた。
 冬の曇り空を見上げると星も月もなかったが、目の前の発光した犬のイルミネーションはなぜか綺麗に見えた。

 楓先輩と別れて家に到着すると親たちはもう帰っていた。おばあちゃんの具合は良いらしくてこのままいけば来月には退院するみたいやった。っていうかそもそもなんで入院しとってん。俺に教えてくれへんのおかしいやろ。けど悪くなくてよかったわ。俺はほっとすると煮え切らんかった思いがどこかへ消えていったような気がした。

 俺は犬の首輪からリボンを奪おうとした。犬は楓先輩にしてもらったリボンが気に入ったんか、なかなか外させてくれんくて「おまえ一回興味失ってたやろ」と自分自身にも当てはまるようなことを言いつつ手こずっているとおかんから「光たち、めっちゃ仲良くなってるやん。散歩これからも頼むで」と言われたので俺はしゃあなしに「ええで。いつでも行ったるわ」と返事をした。