特別な関係

「そういえば、ずっと気になってた事があるんですけど」

私の隣を歩いている財前くんがおもむろに口を開く。ある日の放課後。珍しくテニス部の活動は休みだった。お互いの自宅が近所なので私と彼は学校が終わると今日のように一緒に帰ることがたまにあった。

「なんで先輩はケンヤさんのことだけ『謙也くん』って呼んでるんですか?」
「え?」

私の歩調に合わせつつ、財前くんがそう言った。

「ケンヤさん以外の男子を下の名前で呼んでるの、見たことないですから」

財前くんの質問に私は少し考えてから「特に理由はないけど」と答える。本当は理由はあったのだが、謙也くんの従兄である忍足侑士くんと区別するためという本当に些細な理由だったので言う必要もないかと思ったのだ。

「ほな、理由ないんやったら明日からケンヤさんのこと名字で呼んでくださいよ」
「名字で?」
「何か問題でもあります?」

彼は私を見据えるとそう言った。
従兄の忍足侑士は東京にある氷帝学園に通っているので会うことはほとんどない。だから四天宝寺内で謙也くんを名字で呼ぶことは特に問題はなかった。しかし、急に呼び名を名字に変えるというのは変だと思われるだろうし、私も違和感がある。
しばらく黙って考えている私を見て、財前くんは眉をひそめた。

「あの人だけ下の名前で呼ぶってことは…もしかして付き合ってるんちゃいますよね?」
「え!」

謙也くんとは同じクラスの同級生で仲は良かったがそれは良き友人の間柄であり、恋愛関係などでは全くない。私は首を横に振り「まさか」と言った。

「せやろな、二人ともボケ過ぎてて全然似合ってないですし」
「…」

少し嫌味のある言い方が気になったが、すぐに彼は続けて「謙也くんって呼んでたら周りに『特別』やと誤解されますよ、呼び方変えた方がええんちゃいます」と念を押した。
確かに私が下の名前で呼んでいるのはよく考えたら謙也くんだけだった。だがそれが財前くんの言う『特別』に周りから見えているのだろうかと疑問に思う。お互い呼び捨てで慣れ親しんでいるのならともかく、向こうも私の事は『楓ちゃん』と呼んでいる。ごく普通の、友人としての呼び名だと思っていたが違うのだろうか。

「でも明日から『忍足くん』、って急に呼んだら絶対におかしいって思われるよ」

謙也くんの反応を想像しながら私はそう言う。

「まぁ普通はおかしい思いますわ。それで気づかんかったらアホでしょ」

先輩にアホと言う財前くんは悪びる様子もなく淡々としていた。
続けて彼は「きっと大丈夫ですわ」と言う。

「あの人のことやから先輩から距離置かれたんやろうなと思って、その晩にイグアナ抱き締めながら涙で枕濡らす程度やから、大丈夫ですわ」
「いやそれ大丈夫じゃないよね…?!」

なぜ彼が急にこんなにも呼び名にこだわるのかが分からなかった。ただの冗談だろうか?でも彼は冗談を言うタイプではない気がする。それでは謙也くんへの嫌がらせだろうか?いや、それにしても二人は私から見ていても仲は良いはずだと思った。
私は財前くんにやっぱり仲が悪くなると嫌だから呼び名は変えられないことを告げると、「そうっすか、ならいいっすわ」と彼は少し不機嫌そうにした。そして気が付くといつもの私と彼の自宅前にある別れ道になり「あ、ほんなら」とそっけなく帰って行ってしまった。
急に取り残された私は目の前の赤く染まった夕日を眺める。そしてふと思った。もしかすると私と謙也くんが仲良く思われるのが気に食わないのだろうか。財前くんと謙也くんはなんだかんだいって仲が良いし、実は彼は私の方に嫉妬してるのではないだろうか。私は何かで見た仲の良い兄弟の『お兄ちゃん』に彼女が出来て嫉妬する『弟』の話を思い出した。それに無理矢理当てはめると今までの財前くんが言っていたことも辻褄があう。
私はそう思うとなんだか少し微笑ましくなったと同時にある事を思いついた。