「佐藤さん」
その日の休み時間、教室で机に頬杖をついて窓の外を見ていると、ふいに声を掛けられた。見ると、同じクラスの川田さんが私のほうに近づいてきた。
「なあ、佐藤さんってテニス部のマネージャーやんな?」
私は「うん」と頷く。私は川田さんとはあまり話したことはなかった。彼女はクラスの中で目立つ存在ではなかったが、美人で大人っぽくて、勉強のできる子だった。
「テニス部に財前くんっておるやんか?それで……あの……」
川田さんの頬が少し赤く染まっていて、緊張していることがこちらにまで伝わった。思わず私までなんだかどきどきする。彼女は「放課後、財前くんの部活が終わったあとに、話があるから、中庭まで来て欲しくて……」と恥ずかしそうにそう言った。私は「わかった、そう伝えておくね」と返事をした。
財前くんは学校の女子から人気だった。まさか川田さんも財前くんのことが好きだったなんて全く知らなかった。財前くんは今は彼女はいないはずだから、もしかしてうまくいけば二人は付き合うかもしれない。二人は私から見てもすごくお似合いだと思った。
それに財前くんには私の話を聞いてもらっていてばかりで、前からずっとお礼がしたいと思っていた。もしかしたら私が今度は財前くんの話を聞いてあげられるかもしれない。そう考えると落ち込んでいた気持ちが少し楽になっていった。
***
「は?」
部活が終わったあとに、いつものように財前くんと二人ベンチに座ると、川田さんからの伝言を伝える。すると、財前くんはこちらを見て眉をひそめた。
「それってなんの話ですか?」
「えーと……」
おそらく彼女は財前くんに告白するのだろう。私から直接言っていいものかと迷っていると、財前くんは状況を察したのか、ため息をつくと「またやわ、ホンマもうええねんけどな」とぼそりとつぶやいた。
「え……」
財前くんの反応に凍りつく。
「その人の連絡先って聞いてます?断ってもらえませんか?」
「……」
あまりにも淡々と言われて、私は呆然とする。さきほど川田さんが勇気を振り絞り、私に話しかけてきたことが頭に思い浮ぶと、急に胸が苦しくなった。
「楓先輩?」
財前くんは私の様子を見ると、心配そうに顔をのぞきこんだ。
「財前くん、あの……!」
私は思い切って川田さんのことを財前くんにアピールしようとした。彼女は目立つわけではないが、大人っぽくて凛としていて、美人で、勉強もできる優等生で……だからきっと二人はお似合いだと思う、と。
財前くんは黙って聞いていたが、途中で口をはさみ、「いや、その人のことはわかったけど、なんで楓先輩の方がそんな必死なんですか」と怪訝な顔をした。
「だって、せめて会うだけでもしてほしくて」
川田さんは今どんな気持ちで財前くんのことを待っているのだろう。財前くんが来なかったらどんな思いをするか。考えるだけで背筋が冷たくなり、ぞっとする。私はなんとしてでも財前くんに彼女に会ってもらいたいと思った。
「会って話したら、もしかしたら好きになるかもしれないし……」
「それはないと思いますわ」
財前くんはきっぱりとそう言った。
「そんな……どうして?」
私が食い下がると彼は「それは……」と何か言いかけようとしたが、止めた。私は不思議に思い、財前くんの横顔を見つめる。財前くんは「はぁ」とため息をまたついて、膝に頬杖をついた。
「っていうか、好きでもない人に変に気い持たせるほうが、どうかと思いますけど」
「え……」
「相手にええ顔して、期待させる方が余計に相手のこと傷つけるやろ」
「……」
「俺はその方があかんと思いますわ」
それは確かにそうなのかもしれない。けれど彼女の気持ちを考えると私はやりきれなかった。
「話変わるけど、楓先輩は人の気持ちを考えすぎやと思いますわ」
財前くんは私の顔をじっと見た。彼の耳のピアスが日差しにあたって反射し白く光る。
「優しすぎるっていうか、それが先輩のええところかもしれませんけど」
「……」
「相手からどう思われるか、やなくて、もっと自分がどうしたいかを大事にしたらどうですか」
「自分が、どうしたいか……?」
財前くんはそう言うと、自分の荷物を持ってベンチから立ち上がる。そして「はぁ……中庭ですよね?」と面倒そうにしながら私に訊いた。私は「えっ」と目を見開いて彼を見上げる。
「楓先輩がそこまで言うんやったら、しゃあないから会いますけど、俺ははっきり断りますから」
「あ、ありがとう」
財前くんは部室から出ていった。とりあえず川田さんに会ってもらえるということで、私はホッとして肩の力が抜ける。川田さんと会って財前くんの気持ちが変わればいいのになと思った。
一人になると私は部室の戸締りをする。電気を消すと部屋が暗くなり、それと同時に気持ちが沈む。
彼に避けられたことが頭のなかを何度もぐるぐると回り、そのたびに胸が痛くなる。確かに私は人の気持ちばかり考えて行動しすぎなのかもしれない。自分がどうしたいかよりも相手のことを考えて優先してしまう。彼とのこともそうだ。付き合ってからは彼に嫌われたくなくて、合わせることに必死になっていた。自分がどうしたいか……そういえば私自身は彼のことをどう思っているんだろう、とふと思った。私は自分の気持ちや彼とどうしたいかを考えたことがあまりなかった。財前くんが言うように、もっと自分がどうしたいかを考えた方がいいのかもしれない。
部室を出ると日差しが照り付けていて、外は蒸し暑かった。私はひとりで帰り道を歩いた。そういえば今日は財前くんに彼のことは話せなかったな、となんとなく思う。最近は財前くんとずっと一緒に帰っていたので、ひとりになると心細いような変な感じがした。
住宅街に入り、自宅に近づくと、見覚えのある人物が私の家の前で立っていた。
「謙也くん……?」
私が驚くと、謙也くんは「あっ、楓ちゃん……」と私のことに気づく。
「もしかして……待っててくれてたの?」
慌てて謙也くんに駆け寄る。謙也くんを見ると額が少し汗ばんでいた。
「何かあったの?遅くなってごめんね。連絡してくれればよかったのに」
「いや、財前となんか話あったんやろ?俺が邪魔したら悪いと思って」
「あ……」
財前くんとはただの世間話をしていたと言っていたはずだったが、その理由はおかしいと思ったのか、謙也くんにはちがうことが見透かされてしまっていたようだった。私は謙也くんに変に気を使わせてしまったことを後悔する。
「あっ!スマン、家の前で待ち伏せなんて。俺ストーカーみたいやんな」
謙也くんは慌てながらそう言った。
「ううん、外で待ってるの暑かったよね?よかったらうちの家で涼んで行って」
「え?」
謙也くんはきっと、私に何か話したいことがあってここに来たはずだ。私は家の玄関の外門を開けて、謙也くんに中に入るように促した。しかし謙也くんは「い、いや、せやけど……」と、そこから動こうとしなかった。
「外暑いし、せっかく来てくれたんだから、よかったら上がっていって。ね?」
部活が終わり、こんな暑いなかでずっと待ってくれていた謙也くんはきっと疲れているにちがいない。私がさらに促すと、謙也くんはしばらく黙りこんでいたが、少し考えた後に「……ほな、お邪魔さしてもらうわ」と言った。