フェイズ2

 翌日の昼休み。校舎を行き交う生徒たちのなか、私は緊張しながら彼の教室の前を通った。もしも彼とタイミングよく出会ったら今度は挨拶だけではなくて、何か話してみようと思った。彼と会うのは怖かったが、このままの状態で日々を過ごすのも息苦しく感じていた。

 そうしていると、他の生徒らにまぎれて彼がちょうど教室から出てくるのが見えた。背が高いので一目見てすぐに彼だとわかる。私の鼓動が早くなる。すぐさま彼に駆け寄って「あの、」と話しかけようとすると、彼はこちらに気づいて私のことを一瞥した。そして眉間にしわを寄せ、「なんか用?俺、急いでるねん。また今度にしてくれへん?」といかにも邪魔そうにし、すぐに振り返ると、廊下奥の階段へと去って行ってしまった。私は彼の消えていく後ろ姿を見つめる。だんだんと頭から血が引いていくと、呼吸が苦しくなり、心臓が冷たくなった。

 「────楓ちゃん!」

 名前を呼ばれてはっとなり振り返ると、そこには同じクラスの謙也くんがいた。謙也くんは笑顔でこちらに手を振っている。

 「よかった、探しとってん。白石と昼メシ食べるねんけど一緒に食べへん?」

 「あ……うん!」

 放心していた私は謙也くんの言葉で我にかえる。もしかしたら謙也くんに今の彼とのやりとりを見られていたかもしれないと思った。私はまったく気になどしていないように装って、できるだけ明るい声をだした。

 謙也くんは購買でパンを買った。私はお弁当を持ってきていたので自分の教室へ取りに戻る。白石くんは各クラブの部長が集まる会議が長引いているみたいで、あとから合流するとのことだった。

 「たまには屋上でも行ってみいひん?」と謙也くんから提案され、私たちは屋上へ行く。最上階の扉を開けると空は快晴だった。爽やかな風が吹くと夏のにおいがした。

 「だんだん暑なってきよったなあ」

 「もうすぐ夏だよね」

 屋上にいる生徒は思ったよりも少なかった。適当な場所を決めると私たちはそこで一緒に昼食をとった。謙也くんはパンをたくさん買っていて、なぜか一種類のパンだけ五つもあった。すべて地面に広げると、まるでパーティでもするみたいだった。

 「謙也くん、こんなに食べるの?」

 「ちゃうちゃう、こっちは楓ちゃんの。これ好きやったやろ?」

 「え?私の?」私は五つあるパンを指さした。それは確かに私が好きでよく食べていたパンだった。

 「せや、俺の奢り。好きなだけ食べてええで、そうやないと元気にならへんやろ?」

 そう言うと謙也くんは微笑んだ。

 やっぱりさっきのやりとりを見られていたのかもしれないとなんとなく思った。謙也くんはいつもこうやって、私のことをさりげなく気遣ってくれる。私は思わず嬉しくなって、胸の奥がじわりと暖かくなった。

 「せやけどちょっと買い過ぎてしもうたな。食べられへん分は持って帰ってくれてええから」

 「うん、ありがとう」

 瞳が少し熱くなったが、謙也くんに気づかれないように隠した。謙也くんは私がこの学校で初めてできた大切な友達だった。彼は私が転校してきたばかりの頃、自信のない私のことをいつも明るく励ましてくれていた。テニス部のマネージャーに誘ってくれて、部長の白石くんにその話をしてくれたのも彼だった。

 「そういや楓ちゃん、最近財前と一緒に帰ってるん?」謙也くんが自分のパンの袋を開けながら言った。

 「あ、うん」と返事し、私はお弁当ではなくて、先に謙也くんが買ってくれたパンを食べる。

 「ふーん。なんかあいつ最近機嫌ええもんな」

 「……そうかな?」

 謙也くんは少しふてくされたような顔をして、パンにかじりついた。そういえば私が財前くんに相談に乗ってもらっていることを謙也くんには話していなかった。

 「楓ちゃん、俺な……」謙也くんはパンを食べる手を止め、改めて私のことを見た。そのときだった。

 「楓ちゃん、ケンヤの気持ちに気づいたらなアカンで」

 「し、白石!」

 いつの間にか現れた白石くんが、微笑みながら謙也くんの隣に軽やかに座った。

 「あっ!白石くん、会議おつかれさま」

 私が声を掛けると白石くんは「ホンマ、長かったわ~」と腕を上に伸ばして、疲れ果てた表情を見せた。

 「きゅ、急に現れんなや!」

 「話の途中やったけど、どうしても言いたなってな」

 白石くんは謙也くんのことを見るとにやにやした。

 「ケンヤはな、楓ちゃんが財前とばっかり話しててさみしいから、俺もかまってくれって言いたいねん。なあ?ケンヤ」

 「あ、アホ!なにいうてんねん!?」

 謙也くんはかあっと顔が赤くなり、白石くんにむかって大きな声をだした。白石くんは全く気にすることなく謙也くんを見て笑っている。私はどういう反応をしていいのかわからず、なんだか恥ずかしくなり、謙也くんと白石くんを交互にみつめる。

 「楓ちゃん」と白石くんが私のことを見た。

 「最近部活のあと財前と残ってるみたいやけど、なんかあったん?」

 「あ、えっと……」

 白石くんは部長で、私たちがなぜ残ってるのか気になるのだと思う。私は彼氏のことを財前くんに相談していたことを話すかどうしようか迷った。けれど彼の話をすれば、せっかくの昼休みのふたりの楽しい空気を壊してしまうかもしれない。それにこれ以上自分のことで友達を巻き込むのは迷惑じゃないだろうかと思い、私は「ただの世間話を聞いてもらってるだけだから」と適当にごまかすことにした。

 「ふーん、そうなんや。それやったらええねんけど」

 白石くんは少し腑に落ちない感じだったが、それ以上は聞かなかった。ふと視線を感じると謙也くんと目が合った。

 「ってか、このパンなんでこんなにあるん?食べてええん?」

 視線を白石くんに移すと、彼はあと四つ残っていた同じ種類のパンを不思議そうに見ていた。

 「あかん!それは楓ちゃんのやねんから」

 「そうなん?楓ちゃん、めっちゃこのパン好きやん」

 「あはは、謙也くんにもらったんだけど、これ美味しいんだよ」

 話題が変わったのでホッとする。私はさっき彼から避けられたことが、ずっと頭の中にあり、胸が痛くて苦しかった。だから二人に気づかれないように、なるべく明るく振る舞うようにした。二人に話せばきっと真剣に聞いてくれるだろう。けれどこれは私の問題で、二人を私と同じ嫌な気分にさせたくなかった。どうして彼にあんな風に避けられてしまったんだろう。やっぱり嫌われてしまったのだろうか。私は悲しい気持ちをなんとか自分の中へと押し込もうとした。空を仰ぐと、さっきまで快晴だった空には薄い雲が流れていた。